「手段」が目的化しても、いいじゃない ー 好きが先にある生き方

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生き方・考え方

「それって手段でしょ?何のためにやってるの?」

そう聞かれて、うまく答えられないことがあります。

読書、ライティング、プログラミング。

本来は「目的達成のための道具」として語られることが多いけれど、 私にとっては「それをしている時間」こそが、いちばん楽しくて満たされる時間なんです。

手段が目的になったって、いい。
そんなふうに思えるようになった、いくつかの気づきを書き残しておきます。

「それ、手段でしょ?」って言われても、別にいいじゃん

仕事ではよく、「目的を考えて動こう」と伝えている。
何のためにやるのか。
それを明確にすれば、ムダな動きは減るし、成果にもつながる。

チームマネジメントをしてきた中で、それはすごく大切なことだと感じている。

……と、理解しているし、実際、部下にもそう伝えてきた。

でも、ふと自分の行動をふり返ってみると、ちょっと違う側面もあることに気づいた。

プログラミングも、読書も、ライティングも、、、

たしかに「何かのため」に始めたはずなのに、
気づけば、“やっている時間そのもの”が楽しくて仕方がなくなっていた。

「目的がないと意味がない」とよく言われる。
でも、楽しいからやる。好きだから続けている。
そんな“目的のない時間”にも、ちゃんと意味はあるんじゃないかと思うんです。

目的じゃなくて、「やってる時間」が好きになったものたち

プログラミング

「手段が目的化していた」と初めて気づいたのは、大学時代のプログラミング講義でした。

授業では、与えられた課題に沿って、簡単なソースを書いていきました。

新しく覚えた構文を使って思い通りに動かせたときのワクワク感。
自分の頭の中にある仕組みが、少しずつ形になっていく感覚。

あれはもう、ちょっとしたゲームみたいでした。
何かを解決するため、じゃなくて、書いてる時間がただ楽しかった。
目的を超えて、プログラミングそのものが“目的”になっていたんです。

ところが、その後、研究課題として「ある現象を解明するためのツール」を作る段階に入ったとき、不思議なくらい、手が止まりました。

書くこと自体は変わらないのに、
「何のためにこれを作るのか」が自分の中にないと、急に苦しくなった。
それは、“手段”に戻された瞬間だったのかもしれません。

読書

読書も、もともとは知識を得るために読んでいた。
仕事に役立つ情報をインプットしようとか、自分を高めたいとか。
でも最近は、知らなかったことを知って、
「今の自分が、さっきよりちょっと広がったな」と思えるのがうれしい。

本を閉じたとき、「よし、アウトプットするぞ!」とは思わない。
ただ、読んだ時間そのものが豊かだったな、と感じる。

学びや気づきを通した、“成長実感”がうれしくて読んでるのかもしれない。

ライティング

ライティングは、完全に“伝える手段”として始めた。
副業で書いたり、発信で使ったり、人に読んでもらうことが前提だった。

でも、書いているうちにだんだん気づいた。

「この言い回し、いいな」とか。
「まとまっていくのが気持ちいい」とか。

他人に伝えるためというより、自分の思考が言葉になっていくプロセスが心地よかった。

たとえるなら、散らかった部屋が少しずつ片づいていくような感じ。
書き終わったあと、ちょっと気持ちがスッキリしている。
それが、私にとっての“書く楽しさ”なのかもしれない。


どれも最初は“目的のための手段”だったんです。
でも気づいたら、目的とは別のところで、「この時間が好き」と思えるようになっていました。

結果が出なくても、誰かに伝わらなくても、
自分が心地いいと思えることって、案外ずっと続いていくのかもしれないなと。

続けられたのは、「好き」があったから

ふり返ってみると、私が続けてこられたものって、共通点がある。

それは、最初から「結果が出る確信」があったわけでも、
「これで稼ごう」と思っていたわけでもなかったこと。

取り組む前から妙に惹かれて、やってみるとスルスル入ってくる。
そしてただ、「やっている時間が気持ちいい」と思えた。

頭の中が整理されたり、新しいことを覚えて興奮したり、
目の前の作業に没頭できたり。

そんな“小さな快感”があるから、続いたように感じます。

逆に言えば、やっている最中が苦痛で、「何のために……」と自分に問い続けるものは、
私にとってはなかなか習慣にならなかった。

(スポーツなど身体を動かすものは割とそう感じてしまう)

「続けること」って、気合いとか意志の力じゃないのかもしれない。
もちろん努力は必要だけど、そもそも“好き”の種がないと、土台が続かない。

好きだから続いた。続いたから育った。
そんな順番だって、あっていいと思っている。

好きが先にあって、意味や結果はあとからついてくる

「楽しいからやってるだけで、意味あるの?」
そんなふうに言われたら、かつての私は答えに詰まったかもしれない。

でも今なら、こう言える気がする。
「意味は、あとからついてきたよ」って。

たとえばプログラミング。
学生時代の“遊び”に近い時間が、いつの間にか転職時のアピール材料になっていたし、
実際に仕事で役立つスキルにもなっていた。

読書も同じ。
「知識のために読む」というより、なんとなく面白そうで手に取っていた本たち。
でも、本屋や図書館に通う習慣がついたことで、興味の幅がぐんと広がった。
好きなものを好きなだけ読む。それだけで、ずいぶんと自分の世界が豊かになった。

そしてライティング。
「考えをまとめて言葉にするのが楽しい」と思って続けてきたら、
今こうしてブログを書く力に直結している。

最初は、ただ「好きだから」で始まったことばかり。
それでも気づけば、自分の選択やキャリアにちゃんと“意味”を添えてくれていた。

好きは、堂々と“目的”になっていい

「手段が目的化してるよ」と言われたら、昔はちょっと気にしてたかもしれない。
でも今は、もうあまり引っかからない。

だって、楽しいからやってる。
やってると、気持ちが軽くなるし、前よりちょっと自分が好きになれる。
それって、充分に“目的”って呼べるんじゃないかなと思う。

世の中には、「何のために?」「結果は?」という問いがつきまとう。
もちろん、それが必要な場面もある。
私自身、仕事ではそういう視点を持つようにしているし、チームにも伝えている。

でもそれと同じくらい、「ただ、好きだから」も大切にしたい。
誰かにうまく説明できなくても、意味がはっきりしていなくても。
好きなことをする時間って、自分のなかに静かに残り続ける。

手段が目的になってもいい。
むしろ、それくらい夢中になれるものがあるって、すごく幸せなことかもしれない。

あなたにとって「気づけば続いてたもの」は何ですか?

あとがき|またひとつ、目的なき冒険が始まりました

そんなことをつらつらと書いていたら、またもや“手段っぽいもの”に手を出している自分に気づきました。

最近ハマっているのが、3DCG制作。
映像作品の舞台みたいな空間を自分で作れることに興奮して、
YouTubeを見ながら、Blenderをちまちまといじっています。

これまた、一般的には「目的のためのツール」ってやつ。
でも、やってて楽しいんですよね〜。困る、、、笑

凝った作品を作りたいとか、マネタイズしたいとか、そういうのは今のところなし。
「おもしろそう」「なんかやってみたい」その気持ちだけで始めてます。

……ああ、自分ってやっぱり変わってないな、と笑えてきました。
でも、変わらずにいられる“好き”があるって、結構ありがたいことかもしれません。

そんなわけで、またしばらくは、目的なき冒険を楽しんでみようと思います。

かまいでした🥗

かまい

雇われを卒業して自由を獲得するべく、独立・ 起業を目指す30代OLです🗽✨
副業、資産運用歴は4年。
5つの副業の経験やお金のやりくりなど、暮らしに役立つ情報を発信していきます。
2020.6〜note|2021.5〜ブログ
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都内ひとり暮らし|30代独身|HSP気質|転職1回無職1回|板挟みな中間管理職|サラダ🥗せいろ♨️が好き!♡

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